遍路道の調査

2019年1月9日(水)

堀切峠周辺の遍路道の調査を行いました。

まず、市仲堀切道の二十丁石で遍路道と三線道に分かれていますが、三線道が造られたのは、大正2年以降です。三線道石標に土地の提供者が記されていて、上分町と金田村とあります。上分町が誕生したのは大正2年です。

それ以前は二十丁石から左へ進んでいましたが、そのまま進むと私有地と作業車用林道に入ります。この道はずいぶん後に造られて道で、遍路道ではありません。

作業車用林道のすこし手前に川道があり(水は流れていません)、石を組んで下れるようになっています。この川道を下ると三線道に合流します。おそらく川道もしくは川に沿って下っていたと考えられ、後に三線道に変ったと思われます。この川道を調査しましたが、現在は多数の倒竹で通ることができませんでした。現在は、三線道を通ることをお勧めします。

続いて、堀切峠に建つ標石が指し示す道の調査です。

東金川の中務茂兵衛標石と堀切峠を結ぶ遍路道で、名称は土佐街道新道です。

堀切峠から土佐街道新道に入ると、いい林道が残っていました。

不法投棄されたゴミや倒木などで荒れていますが、修繕は可能です。

途中で道が分からなくなったため、今回は深追いせず車道に戻りました。

改めてルートを調べ直して、修繕作業に取り掛かりたいと思います。