長引く寒波で今朝も厳しい寒さになりましたが、遍路道の保全ボランティアに出かけました。
今回は文久癸刻(1863年)建立の標石から西金川まで下る遍路道です。
標石の前、分水道を横切った場所から下り坂が始まります。
ここから草を刈り、枝を切りながら、西金川の「しこくのみち」との合流地点を目指しました。
回を重ねる度に草刈や枝などを切る作業に慣れてきたようです。
昨年の11月、現状視察で訪れた時は、西金川側から上ってみましたが、遍路道が生い茂る枝葉に隠れていてよく分からず、「もっと三角寺川に近い場所を通るのではないか」と思ったりしました。
--果たしてどこに繋がっているのか? それとも、遍路道が無くなってしまっているのか?
期待と不安が交錯する中、両側から生い茂る枝葉が道を覆っている場所に着きました。
--もしかして・・・
その枝葉を切除すると、焼却施設の道と合流しました。
--ここに出だか!!!
ここは雑草が生い茂る場所でもあり、もしこの場所に出ることも想定して除草剤を用意していました。
除草剤で根から枯らします。
この後、焼却施設の水槽の前から遍路道は舗装された林道に姿を変え、三角寺川に沿って下ります。
そして、ついに西金川の「しこくのみち」と「本来の遍路道」が合流する場所に到着しました。
遍路道に生い茂る雑草を刈り、遍路道を遮る枝葉や笹などを切除する作業を地道に繰り返し、一歩一歩前に進んだ結果、ついに今日、三角寺から西金川へ下る本来の遍路道が通じました!!!
まだまだ道の状態は悪く、修繕しなければならない箇所も多々ありますが、まず通れる状態にまで修繕できたことは、「この遍路道を後世に繋いでゆくための大きな一歩」になったと思います。
そういう意味でも、今日、2018年2月8日は、私にとって忘れ難い記念日になりました。
そう遠くない未来、お遍路さんがこの遍路道に戻って来る日を想い描きながら、これからも地道に修繕作業を続けようと思います。
ちなみに本来の遍路道は、「しこくのみち」と共に西金川地区を通り抜け三角寺口に至りますが、三角寺口で「しこくの道」と分かれ、そのまま三角寺川に沿って進み、大西神社の麓付近で土佐北街道と合流した後、東金川地区を通り抜けて平山へ至ります。
かつて数多くのお遍路さんが歩いた遍路道が後世に受け継がれてゆくことを願っております。
南無大師遍照金剛